世間で斎藤元彦知事について内部告発をした職員が死亡した事件が問題になって数ヶ月。
ここ数週間は、火がついたように連日メディアが取り上げるようになりました。
ネット上では「斎藤知事は湾岸利権などの既得権益にはめられた」という意見を持つ人と「内部告発をもみ消したパワハラ上司にすぎない」という主張の方が言い争っている場面も見られます。
斎藤知事個人だけでなく、県庁という組織まで含めた様々な問題が指摘されている事件となっています。
斎藤知事の内部告発やパワハラ問題の報道に見る、「役所あるある」の時代遅れ感
筆者は最初にこのニュースを見たとき、ようやく「役所あるある」が問題視される時代になってきたかと思いました。
長年役所勤めしてきた者からすると、役所という業界には、こういうタイプの上司は多かったです。
さらに知事や議員の先生となれば選挙により県民から選ばれた人ですから、「知事には逆らえない」といった感覚は当然のものとして職員たちにあります。
筆者は尊敬する上司を若くして亡くしました。
彼は上司のパワハラで亡くなった訳ではないのですが、体調不良が続く中、人員不足で残業続きの生活をせざるを得ず、病院に行けたときはステージ4のガンであっという間に亡くなってしまいました。
棺の中にいる上司の顔は、今でも忘れられません。
実は、その同じ部署では、時々挨拶をしていた隣のグループの方も、脳疾患で若くして急死しました。
またパワハラやセクハラは同僚や同期からもよく聞きますし、筆者自身もパワハラ上司に何人も仕えてきました。
または、同僚や後輩をいじめて何人も休職に追い込んでいたモンスター職員を「怖いから」と見て見ぬふりする上司も多くいました。
パワハラやセクハラに苦しむ後輩を助けようと、声を上げて後輩を守った先輩が、見せしめのように辺境の部署へ急に異動になってしまったという話も聞いたことがあります。
斎藤知事の「俺は知事だぞ」といった発言や「おねだり」という言動は、実際に言ったのかどうかはさておき、視聴者の関心を引くので、メディアでもネット上でも大きく取り上げられています。
しかし筆者が一番、問題性を感じたのは、内部告発をした職員の死亡です。
「職員の命」があまりにも軽すぎる、県庁・市役所などの組織実態
亡くなった職員に問題があったという指摘をネット上で指摘している人も多いですが、内部告発した人が守られず、命を落としているという点が、組織風土として一番大きな問題です。
役所という風土は、組織の問題に気がつく才覚があり、声をあげる勇気がある人が昇格できず定年までヒラだったり、辺境の地に追いやられていることがよくあります。
逆に上司のパワハラや異常な長時間残業の蔓延する環境でも、病気をせずに耐え抜ける人が出世ルートに乗れるという風土です。
しかし志望理由が地元で働きたい、同僚と競い合う営業職ではなく事務職が良いといった動機で入庁している人も多いですから、当然パワハラや過労に耐えられる人ばかりではありません。
仕事に対して真摯に取り組まれていた方や、人望の厚かった人ほど、病気で退職してしまうような話も聞きます。
職員の自殺については、ざっとインターネットで検索するだけでも、このような記事がすぐに見つかります。
幹部職員ではない一般のヒラ職員の自殺はニュースにもなりませんから、世間に公表されていないだけで上司のパワハラにより自殺したり、社会復帰できない健康状態になったヒラ職員はもっと多いでしょう。
ある時、転職枠で採用された社会人経験のある方が、上司がいなくなった瞬間、「この職場、やばいっすねwww」と筆者に言ってきたことがありました。
その時、私は、非常に大きな衝撃を受けました。
「こういう上司よくいるよね」と思っている自分自身の感覚が、現代の世間一般の感覚と乖離していたことに気付かされたからです。
パワハラ上司の機嫌を伺いながら、上司が怒らない方向性を考えながら、自分の意見は内心に秘めて仕事を進める。
その状況を問題提起する人は、辺境の地に飛ばされて苦しい職業人生を送ったり、能力のある人であれば転職して組織を去ります。
凡人が自分の人生を守りたいなら粛々と耐えるのが最善という感覚が、気づかないうちに染み付いていたのです。
維新の会共同代表の吉村知事は、斎藤元彦知事にすぐに辞職要求をせず、当初「静観」の姿勢を見せたことを批判されています。
吉村知事の発言を聞いていると、客観的な情報や、正確な情報を求めて、判断に時間がかかったのかもしれませんが、状況証拠は結構揃っていたようにも思え、身内の情が入ったために判断が遅れたようにもみえました。
公務員の人気低下による被害を受けるのは住民。今いる職員一人ひとりができることとは・・・
実際問題、長年公務員を続けた人は民間企業への転職が厳しい現実もありますので、「上司に潰されそうならサッサと転職すればいい」という訳にも中々いきません。
中堅職員には守るべき配偶者やお子さんがいる方も多いですから、黙って耐えてやり過ごすしかないケースも多いでしょう。
しかし、近年入庁してきているZ世代と言われる若手職員層は、働く人がより良い職場環境を「選ぶ」のが当然という価値観を持っています。
そんな若い人たちにとっては、理不尽な目にあっても、声もあげられない組織風土は「人」を大事にしない、敬遠されやすい職種だとみなされ、急激な人気低下が起きています。
知事や上司は今後20年も30年も役所にいるわけではありませんが、まともな人材が入ってこない県庁や市役所の組織劣化により、一番被害を被るのは住民の方々です。
まともな人材が来ない役所では、職員のミスによる市民の個人情報の流出や、戦力になる職員が減りすぎて災害時に救助が来ないといった事態が起こるかもしれません。
役所組織特有の問題が、世間から見て異常だと報じられるようになったのは、時代の変化を感じます。
しかし実際の役所では、真面目に担当業務に取り組む職員が休職・退職していく実態がまだまだ蔓延しています。
筆者もパワハラ上司やモンスター先輩職員に苦しむ職場ばかりを異動し、眼の前の苦しみに必死に対処してきた結果、気づいたら転職適齢期を過ぎてしまいました。
一方で、社会保障・年金制度の改正動向から見ても、転職適齢期と言われる年代を過ぎてからの方が、職業人生は長くなってきています。
残念ながら個々の職員が問題意識を持っていても、中々古くて大きい役所という組織は変わりません。
しかし個々人が役所という組織の現状に健全な危機感を持ち、自分の市場価値を高めれば「他にも働く先はあるし」という安心感を持って仕事に向かえるようになることで、休職や退職、そして自殺を防ぐことはできるでしょう。
いくら税金から給料を頂いているからといって、職員の命が失われても良いほどの役所の仕事なんてありません。
過酷な職場環境で閉塞感を覚えている方に、似たような苦しみを味わってきた自分の経験が少しでも参考になればという思いから、このブログでは様々なコラムを掲載しています。
一朝一夕にはいきませんが、職員一人ひとりが少しでも幸せな職業人生に近づくことで、優秀な人材が集まり、市民サービスが向上していく組織になってほしいと、今回の報道を見ていて切に願います。